偉大なるBI砲

 

 

 

所長の髙田です。

 

 

今日は三重県鈴鹿市といなべ市での産業医活動の予定が、

東名阪道で朝、大事故があったらしく、その煽りで鈴鹿市での

産業医活動を終えた時刻でも渋滞が。

 

 

結局いなべ市での産業医活動はキャンセルさせていただき、

名古屋まで2時間かけてなんとか帰宅しました。

 

東名阪道の事故渋滞で産業医活動がキャンセルになったのは、

今年早くも2回目。

 

四日市ジャンクションがどうしても事故が多いんですよ。

 

3車線の道路に、2車線で横倒しになったトレーラーの横を、

残り1車線で通り過ぎていったこともあり、事故多発地帯です。

 

いつ自分も巻き込まれるか、戦々恐々としています。

 

といっても、普通に走れば高速道路は事故なんてしないはずなんですが。

 

「普通に走れば」 ですけど。

 

 

 

話はガラッと変わり、今日は、故ジャイアント馬場の20回忌追悼興行が、

両国国技館で行われているそうで、アントニオ猪木が初めて、

ジャイアント馬場の追悼興行に参加したそうです。

 

馬場の死後20年でようやく、猪木が馬場の興行に参加したのは、

やはりそれだけ大きな壁はあったということでしょうか。

 

でも猪木も、明日の誕生日でもう76歳。

 

健在なうちに馬場の追悼興行に参加してくれたのは、

昭和のプロレスファンとしては本当に良かったと思いました。

 

自分がプロレスファンになったのは、1980年に、

当時WWF認定ジュニアヘビー級王者だった藤波辰巳の試合を観てから。

 

YouTubeで昔の映像を観ると、記憶が美化されていたのかなと感じることも

多いですが、藤波の当時の試合は、今観ても本当に素晴らしい。

 

プロレスという、競技と芝居がファジーな境目で交わっている不思議な

ジャンルに、正面から真剣に向き合うひたむきさを強く感じる。

 

その基礎には、プロレスというジャンルをはるかに超えた、

カール・ゴッチのもとでの数ヶ月におよぶ鍛錬があったんだなと思いました。

 

 

 

当時プロレスファンになった時は、ジャイアント馬場は42歳。

アントニオ猪木は37歳。

 

馬場は既にピークを越えており、猪木は今映像を観るとピークを過ぎていた

のは分かるけど、まだ全盛期の雰囲気を残していました。

 

馬場は衰えた姿をたくさん見せてから亡くなり、猪木の試合も既に知らない

プロレスファンが増えている今、馬場・猪木と言っても何も感じない人が、

大半なのでしょう。

 

でも自分ら昭和のプロレスファンにとっては、永遠のBI砲。

 

2人の偉大なプロレスラー。

 

 

 

昭和のプロレスで、プロレスの殿堂と言われた会場がありました。

 

その会場の名前は 「蔵前国技館」。

 

相撲の殿堂で、1985年に両国国技館に建て替えられましたが、

プロレスの殿堂でもありました。

 

力道山がシャープ兄弟や木村政彦と試合をしたのは蔵前国技館。

 

23歳の猪木が東京プロレス旗揚げ戦で、ジョニーバレンタイン相手に

闘ったのも蔵前国技館。

 

猪木が新日本プロレス旗揚げ後、ルー・テーズ、カールゴッチ、

ストロング小林、大木金太郎、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアント、

スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン・・・キラ星の如くのレスラー達と

記憶に残る試合の数々をしたのも蔵前国技館。

 

永遠に語り継がれる初代タイガー・マスクのダイナマイト・キッドとの

デビュー戦が行われたのも蔵前国技館。

 

方や馬場は、全日本プロレスの前の日本プロレス時代にピークが来ていた

こともあり、全日本プロレス時代には、馬場の試合で蔵前国技館で印象に

残る試合はあまりなく。

 

どちらかというと、ザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、

スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディといった豪華外国人レスラー達の

記憶が強い。

 

 

 

でも、プロレスの殿堂たる蔵前国技館が取り壊されることになった1984年、 BI砲は記憶に残る素晴らしい試合を、最後の蔵前国技館でそれぞれ

行いました。

 

ジャイアント馬場は、1984年7月31日、PWF王者スタン・ハンセンに

挑戦したシングルマッチ。

 

全日本プロレス移籍後も、飛ぶ鳥を落とす勢いが止まらなかった

スタン・ハンセンに、ピークを過ぎていたジャイアント馬場が挑んだ試合。

 

ところどころで反撃するものの、スタン・ハンセンの勢いに完全に

飲まれていく馬場。

 

試合の結末は最初から決まっていたとしても、ハンセンの攻撃にひたすら

耐える馬場の姿はリアル。

 

長年プロレス実況をしてきて、プロレスの表も裏も知り尽くした日本テレビの

倉持アナウンサーが、馬場の忍耐に泣きながら実況したのは有名な話。

 

でもここまで圧倒されている馬場が、ハンセンに勝つのは説得力が無い。

 

では、どのようにして勝つ?

 

ショートレンジのウエスタンラリアットをカウント2で馬場にキックアウトされた

ハンセンが、馬場をボディスラムで投げようと抱え込んだ。

 

その瞬間、1秒ほど間があいた。

 

ハンセンの首を抱えた馬場は、後ろに倒れそのまま器用に丸め込んだ。

 

馬場の人生唯一のスモールパッケージホールド。小包固めでカウント3。

 

強いハンセンに衰えた馬場が勝つには、返し技しか説得力がない。

 

その返し技が、ジャイアントな男が使うスモールパッケージホールドという

痛快さ。

 

馬場勝利の瞬間、まさかの結末に蔵前国技館のファンは総立ちで

狂喜乱舞。

 

 

 

そしてその2日後の1984年8月2日に行われたのが、

アントニオ猪木の蔵前国技館ラストマッチ。

 

当時ハンセンと同じく飛ぶ鳥を落とす勢いだった、維新軍団の長州力

とのシングルマッチ。

 

この試合はあまりに素晴らしくて、当時小学5年生だった自分は

テレビの前で正座をして夢中で観ていた。

 

猪木に勝って欲しいという気持ちはもちろんあったけど、それよりも何よりも

お互いのプロレスラーとしての佇まいと技の交換に引き込まれた。

 

我に返った瞬間で覚えているのは、当時幻の技になりつつあった猪木の

ジャーマンスープレックスホールドが出た時。

 

今になって振り返ると、最後の蔵前国技館で、ストロング小林を沈めたジャーマンスープレックスホールドを出したのは、本当に素晴らしい。

 

最後のフィニッシュも、延髄切りや卍固めではなく、グラウンドコブラツイスト

でのカウント3。

 

プロレスラーのグラウンド技術を鮮やかに見せた猪木の真骨頂。

 

あまりに素晴らしい試合でカウント3が入った瞬間、蔵前国技館のファンは

総立ち。

 

でも3日前の馬場の試合の時のまさかの結末で狂喜乱舞での総立ちでは

なく、あまりに素晴らしい試合の攻防への称賛の拍手という感じだった。

 

試合時間は今でも覚えている29分30秒。

 

その年の東京スポーツ制定のプロレス大賞年間最高試合。

 

馬場とは違って、ピークの名残りをまだ残していた猪木の、相手を真正面

から受け止めた上で、プロレスラーのプロのレスリングテクニックを存分に

見せつけた最後の試合。

 

ストロングスタイルって何?

と今のプロレスラーですら言っているが、あの試合こそがストロングスタイル。

 

あの試合を観たから、プロレスファンとしての誇りが未だに持てている。

 

そして自分の産業医としてのスタンスも、あの試合のようなストロングスタイルでいたいと常に思っている。

 

他の人が聞いたら、何を言っているのかサッパリわからないだろうけど。

 

 

 

でも、あの当時のポジションで、ファンを狂喜乱舞させたジャイアント馬場も、

やはり偉大なプロレスラー。

 

BI砲が揃って、昭和プロレスの殿堂の蔵前国技館で、今でも鮮烈に記憶

に残る名勝負を残したのは、やはり偉大な2人のプロレスラー。

 

 

「プロレスなんて八百長だろ?」

 

 

「プロレスなんて何が面白いんだ?」

 

 

当時小学生だった自分は、同じ子供からも大人からもプロレスについて

嘲笑を受けていた。

 

でもプロレスへの愛が強過ぎて、真っ向から反発していた。

 

お前らは何も分かっていない。

プロレスこそがキング・オブ・スポーツだ、と。

 

プロレスの表も裏もさらけ出された現代だけど、騙されたなんて自分は

サラサラ思っていない。

 

あの当時のアントニオ猪木は、キング・オブ・スポーツを名乗っても良かった

と今でも思っている。

 

だから猪木はモハメド・アリに真剣勝負で挑んだ。

 

猪木の言っていることは、プロレスについては首尾一貫している。

 

白黒が明確な他のスポーツと違って、プロレスは全てがファジーな

底が丸見えの底なし沼。

 

 

 

産業医は、昭和プロレスと似ていると俺はいつも思う。

 

産業医は、疾病や怪我を予防するために動くけど、予防できたかどうか

なんて本当は分からない。証明する手立てはないから。

 

だから予防しているだろうという前提の活動が多い。

 

そういうところは最初から結末が決まっているプロレスと似ている。

 

正直に言って、作業管理や作業環境管理は、産業医じゃなくても

誰でも出来ること。

 

メンタルヘルス活動も、産業医じゃなくても出来るといえば出来る。

 

でも医学知識をもとにして、労働者を本当に全人的に捉えて、

健康診断結果の持つ本当の医学的意味をきちんと吟味して、

予防活動が出来るのは、医師しかいない。

 

心電図判読という医師のベーシックな技術が出来ない産業医は

正直言って居る。

 

心電図が読めなくても産業医活動は出来る。

 

でも健康診断の法定項目の心電図をきちんと読めるようにするのは、

産業医としての矜持。

 

本当の技術をきちんと身に付け、本当に病気を予防するということに

出来る限りリアルに近づきたい。

 

そういうところは、本当の技術を身に付けるように努力して、

少しでもリアルな部分を試合に出して客を引き込ませたいと思っていた

猪木のストロングスタイルと似ている。

 

産業医は、ガチンコの総合格闘技ではなく、ストロングスタイルのプロレス

だと、自分は定義している。

 

だから産業医が肌に合ったのかもしれないし、産業医活動であちらこちらに

行く自分の今のスタイルは、ミミズ並みの体力でプロレスラーは夢のまた夢

だった自分の、昔憧れたプロレスラーへのオマージュだと思っている。

 

 

職業に貴賤なし。

  

ありがとう、プロレス。

 

 

偉大なBI砲よ、永遠に。

 

 

2019219

 

高田労働衛

コンサルタント事務所

名古屋市中区丸の内2丁目 

(地下鉄丸の内駅2番出口徒歩1分)

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